マヤ文明&マヤ遺跡のことならお任せあれ!深く詳しく面白く解説「マヤ遺跡」特集
【ウォータースポーツカンクンだから出来る自信の遺跡ツアー】
遺跡ツアーに何を求めるか、、、この答えによって、選ぶツアーにも大きな違いが生まれます。
弊社のツアーは遺跡観光をツアーの一番の柱にすえ、その為に重要となる、快適さ、スケジュール等を考慮しながらツアーを組み立てますので、一度に40人も50人も連れて行くような巨大なバスツアーだったり、不必要なコミッション目当てのお土産屋に立ち寄るような無駄な時間も取りません。
もちろん、これには英語ツアーとの共同催行も含まれますので、何も日本語ツアーだけを指していっている訳ではありません。
カンクンの中にある英語もスペイン語も、その他の国のツアーも全て含めて、どこも弊社の言うコンセプトを明確にしているツアーがないのは、あまりに哀しい現実です。
価格の安さばかりを強調するツアーが、カンクンには多いのですが(これは英語ツアーも含め)、逆に内容を強調するツアー会社はありません。
遺跡の見学を通じて得るものは、それが単なる見学では終わらないところに真価があります。
過去には海外旅行そのものが目的という時代がありました。ハワイへ行くというその事が目的だった時代、価格が一番重要な要素でした。
しかし、時代は流れ、人は「何故その場所へ行くのか?」という旅そのものに目的をもつ時代に入りました。
それにも関わらず、今までと同じように安い安いで勧誘されても、私などは全く心が動きません。
マヤ遺跡を見学すること、そのことを目的とする以上、自分が納得するレベルでの案内と解説を当然のように求めるからです。
遺跡見学を通じて、どんなことが学べるのか。。。
このコンセプトを明確にしているツアー会社はありません。催行している会社がマヤ遺跡の事など良くわかっておらず、ビジネスとしてツアーを催行しているから当然です。
今までなら、謎の多いマヤ文明においては何か分からないことがあっても、未だに謎で…と口を濁すことも出来たでしょう。
しかし近年のマヤ考古学は、碑文学も含め飛躍的な進歩を遂げています。
単なる見学ツアーとしてその場所に連れて行くだけの内容のないツアーで満足いただける文明ではなくなっているのです。
このマヤ遺跡の最新の考古学情報を常にアップデートし、最新の情報を元に一番新しい文明の最前線を知っていただく。
歴史解読の意義をしっかりと伝えることで、ツアーそのものが、そして、参加されたお客様全てが、自らの人生観や価値観にまで訴えかけれる感動と躍動を感じることになるのです。
【歴史を見学することの意義(コンセプト)とは?】
ヘッディング 6
我々が持つ遺跡ツアーに対するコンセプトは明確です。
「歴史探求というものは、過去に人々が残した生命の軌跡をなぞることで、自ら抱く悩みや疑問に対する答えを見つけ出す行為である」
というものです。
歴史から学ばない人は誰もいません。人は自らの過去の経験や体験からも様々な事を学びます。全く同じ事が、歴史探訪でも当てはまるのです。
だからこそ、明確で分かりやすい、また体系的な解説が求められるのです。過去の時代と現代の時代は背景が違っても、生きる人々の思考というものは、実はそれほど変わりません。どの時代でも人々が望むものは同じであり、その為に行動をしたからです。
マヤの世界でも同じです。そのマヤ文明が何故崩壊をせざるを得なかったのか、、、この謎を追うことで、我々が陥るかも知れない危険を未然に防ぐことも出来る…そして、より幸せな未来への答えも見出す事が出来るのです。
ここに遺跡見学の醍醐味があります。
価格以上の価値を生み出すマヤ遺跡アプローチの秘密!
遺跡見学にとどまらない学びや啓蒙といった追及で、マヤ文明を読み解きます。
【弊社、遺跡探訪アプローチへのこだわり】
大切な思い出のツアーだから、遺跡見学にも一工夫いれています。
例えば、遺跡見学でもしっかりと以下のような事が分かるようになっています。
知的好奇心を満たす疑問にしっかりと答えます。
●一体、どのような人々が何を目的に…この世界一有名なピラミッドを建設したのか?
●何故、マヤ文明は密林の中に都市を建設したのか?世界から隔絶したその訳は?
●忽然と消えたマヤの人々は、一体どこへ行ってしまったのか?
●そして、何故、マヤ文明は滅んだのか?
●DNAに残されたマヤ民族の驚くべきルーツとは?果たして宇宙人説は証明されるのか?
●チチェンイッツァ遺跡で行われた、心臓を取り出す儀式に隠された真実とは?
●年に二回だけ起こるピラミッドの降臨現象に隠されたマヤ支配者層の狙いとは?
●数多くの遺跡に祭られる雨の神「チャック」が明かす驚くべき自然環境とは?
●マヤ神聖文字解読により明らかにされるマヤ古代社会!
●2012年に地球滅亡を預言したマヤの預言には続きがあった、果たしてその続きとは?
上記以外にも更に興味深い、マヤ文明の謎を解き明かします!
弊社のツアーでは、これらの謎を探りながら興味深いマヤ遺跡の世界をインプットしアウトプットして頂きます。
ツアーで行ける5つのマヤ遺跡のご紹介
【 チチェンイッツァ(Chichen Itza)遺跡 とは? 】
言わずと知れたマヤ文明の神髄、世界遺産のマヤ遺跡。
マヤ文明の高度な建築技術と正確な天文学が随所に活かされている貴重で興味深い遺跡です。
遺跡内は、6世紀ごろのマヤ後古典期の「旧チチェンイッツァ」エリアと、トルテカ文明と融合した10世紀以降の「新チチェンイッツァ」エリアの、大きく2つのエリアに分かれています。
一番有名なピラミッド「エルカスティージョ」「戦士の神殿」「鷲とジャガーの神殿」「球戯場」は新エリア、「天文台(エルカラコル)」「尼僧院本館」は旧エリアにあります。
【 エル・カスティージョ(El Castillo) 別名ククルカンのピラミッド】
チチェンイッツァはマヤ文明の中でも特に論証の的になっている遺跡です。
その精緻な建造群、特にククルカンのピラミッドと言われるカスティージョは、その完璧なまでの建築技術から、以前には宇宙人説などまで持ち上がった偉大な建造物です。
高さ24m+6m(神殿部の高さ)、底辺55.3m、9層からなるピラミッドには4面に階段が設けられ、最上階には聖堂が建てられています。
階段の数は一辺91段、4面で364段、聖堂への一段を加えて365段と1年の日数に相当するようになっています。
更に各面の9層は中央を階段で仕切られ18のテラスがある事になっていますが、これがマヤ暦の1年の月数である18ヶ月となっているのです。
カスティージョ(Castillo)とは、スペイン語で「城」という意味。
【 戦士の神殿&千本柱の回廊 】
ククルカンのピラミッド頂上から東手に見えるのが、戦士の神殿と言われる建造物です。その建築様式から、トルテカ族によって建設されたと言われています。
この神殿には現在登ることは出来ませんが、中心に鎮座するチャック・モールの像や、戦士が彫刻された柱廊が有名です。
底辺の幅40m。周囲を戦士をモチーフにした彫刻が施された「千本柱の回廊」によって囲まれています。
西側の階段(正面)を登りつめた中央に、有名なチャックモールの像があり、生贄の心臓を乗せ、地下世界にて闘う太陽がまた東から昇る活力として捧げられていました。
この神殿と同じ様式で建てられた神殿が、トルテカの都「トゥーラ」にあるトラティスカルパンテクトリ神殿です。
この2つの各神殿は、ほとんどウリ二つであり、この為、トルテカ族により、建設されたと言われる根拠となっているものです。
【 球戯場と南北の神殿 】
マヤ遺跡最大の規模を持つ球戯場。
遺跡全体の大きさは南北168m東西68m高さ8.2mという広さを持ち、プレイフィールドは南北146m東西36mの大きさを持つ。
中央部分に設けられた輪にゴム製のボールを通すことで得点を競い合ったと言われています。
有名な西側にあるレリーフには、この儀式によって勝者側(もしくは敗者側)のチームのリーダーが神への使者として斬首された様子が描かれています。
鮮血が生命と豊穣をあらわす象徴である蛇となっていること、更にその一つは木の幹となり作物を実られていることからも、この儀式が神聖なものであったことを伺わせています。
競技者は身分の高い高官であることは、そのレリーフに描かれた人物が、ネックレス(恐らくヒスイ)をし、権力の象徴であるマニキン・セプター(人物象形杓)を身につけていることからも伺うことが出来ます。
また、首を切り落とす剣は黒曜石のものであるという根拠は、当時のマヤ地域には鋳鉄などの技術がなかった事から来ています。
【 聖なるセノーテ:セノーテ・サグラド(Cenote Sagrado) 】
サクベと呼ばれる長い鼓道を抜けると突然現れる巨大なセノーテ。深さは20m、大きさは直径で60m弱という大きな泉です。
ここは神に捧げられる生贄や宝物が投げ込まれたといわれる泉です。このセノーテの底からは、様々な貴重な発見がありました。
因みにセノーテとは、この地域特有の地下水が湧き出る泉のことで、石灰岩質の岩盤であるユカタン半島によく見られるものです。貴重な水の供給源として、多くの遺跡がこのセノーテの近くに建設されてきました。
このセノーテでは生贄の儀式が行われた…とマヤの伝承で伝えられています。
伝承では、美しい少女だけが投げ込まれた…と伝えられ、1904年に行われた探索で、女性の骨が発見され伝承が本当であった事を裏付けた…と伝えられています。
この泉からは他にも貴重な金のプレートや数々の遺物が発見されており、この遺跡の貴重な情報源となっています。
【 エル・カラコル (El Caracol)天文観測施設 】
旧チチェンの遺跡群の中で最も有名な建造物であると共に、古典期終末期の傑出した建築モニュメント。
その内部構造から「カラコル」(カタツムリ)とも呼ばれる。
ご存知、マヤの天文観測施設。
直径11m、高さ13mの塔を持つ天文観測施設。観測という目的から入り口は2mの高さに設置されています(神聖な建造物であるとの説もあります)
内部には厚い石組みの壁とらせん状の階段があり、その基壇、戸口、窓の縦の側面を用いて、太陽の夏至や春分の日没を計ったり、月の南下の位置を確認し、金星のみかけの運行を観測していました。
トルテカ=マヤの時代までにも、何段階かに分けられて建て増しされた事が確認されています。
旧チチェンの建造物では唯一トルテカ時代にても実用にともされていた稀有な建物です。
【 尼僧院と付属の尼僧院 】
プウク様式の色濃く残る古典期後期の遺跡。旧チチェンの中でも古い遺跡に属する。
どちらも壁面全体に雨神チャックの装飾が施された建造物で、プウク様式に見られる壁面上部のみに文様を施すという特徴からは若干外れているものの、古典期マヤの特徴が強く見られる。
壁面には13の雨神チャックが飾られており、入り口がその雨神チャックの口になっている。
また、尼僧院では、入り口上部には大きな頭飾りをつけた支配者と思われる人物が玉座に鎮座している意匠も見られる。
こんな人にオススメ!チチェンイッツァ遺跡
●やっぱり世界遺産の遺跡は外せない!人
●最も有名で、しかも大規模な遺跡に行きたい人
●その高度な建築と天文学に触れて感動したい人
●マヤ遺跡&マヤ文明の歴史から何かを学び取りたい人
●年に2回のみ起こる、降臨現象を体験してみたい人
●生贄の儀式があったセノーテを見てみたい人
チチェンイッツァ遺跡に行くツアー
【 エクバラム(Ek-Balam)遺跡 とは? 】
エクバラム遺跡はチチェンイッツァから70km離れた場所に位置した最近特に注目されている遺跡です。
紀元前300年を起源とする息の長い遺跡であり、発見当時の保存状態が極めてよかった上に、貴重な資料がほとんどそのままに残されていた為に、研究史上きわめて重要な遺跡として位置づけられており、現在も他の遺跡と同様に、復旧事業が進められています。
エクバラムを統治していたUkitJolAhkulの功績を描いたモニュメントには、最初の王であるUkitKanLe'KTokが神として描かれています。
そして、ここエクバラムにはその王の墓があります。
【 王の墳墓が存在する「Troll」王朝の都 】
この墳墓からは王の遺体と共に、生贄となった従者の遺骨も発見されており、一部壁画や漆喰で塗られた壁の一部も保存状態が極めてよい状態で残されています。
こうした細かな彫刻が施された遺跡、特に墳墓として確認できたものはユカタン半島では唯一このエクバラム遺跡だけといわれています。
ライムストーンの彫像
見事なまでに細部を表現した彫像。当時の特殊な着物を髣髴とさせる。そして、ここにこの遺跡最大の秘密が隠されています…さてその秘密とは?!
王墓内に建てられたライムストーンの巨大な彫像。この遺跡にはこうした彫刻がかなりの部分オリジナルで残されている。
見事な彫刻は他に類を見ないほど精巧に彫られています。
他の遺跡と違い、この王墓はライムストーンで作られており、白い館と呼ばれております。
現在、ツアー客にはあまり知られていない遺跡ですので、じっくりと遺跡内を観光することが出来ますが、今後人気化してくると、こうした遺跡内への立ち入りが、チチェンイッツァやトゥルム遺跡のように出来なくなる事が予想されます。
じっくりと遺跡を観察する為にも早めの観光をお薦めいたします。
【 エクバラム遺跡は、900組様以上のお客様が、来て良かったと感動した遺跡です!! 】
ウォータースポーツカンクンでは、これまで年間平均約100組様のお客様に、このエクバラム遺跡に行くツアーをご利用をいただいてまいりました。
そして、面白いことに「全てのお客様が、チチェンイッツア遺跡よりも、エクバラム遺跡の方により感動を覚えた」という感想を述べられるのです。
その感動の理由とは?
実はエクバラム遺跡には、こんな秘密が隠されていました。
【 感動の理由その1:20世紀最大の発見がありました 】
エクバラムの碑文の前ではマヤ文字の解説をし、1200年を隔てたオリジナルのマヤ遺跡に触れ、そして王墓の墓室ではその精緻を極めた90%オリジナルのファサードをご覧になることが出来ます。
100年以上発掘を続けて未だに未解明の部分の多い世界遺産チチェンイッツア遺跡、この謎の解明は、考古学者の悲願でもあるわけですが、1997年、この遺跡から40kmほどしか離れていない場所で、7000点にも上る発掘品と共に、100の碑文が発見されマヤ考古学の世界に激震が走りました。
謎と言われたチチェンイッッア遺跡を解明する資料が含まれている可能性が非常高い為、このエクバラム遺跡は20世紀最大の発見ともてはやされました。
1200年にも上る期間ひっそりとジャングルに埋もれ続けた為、遺跡の状態もよく、石灰岩で作られた遺跡としては奇跡ともいえる80%以上、オリジナルの遺構が残っています。
この為、マヤ考古学者のみならず、誰もが一度は訪れたい遺跡と言われています。
【 感動の理由その2:ピラミッドに登れます、しかも高い32m! 】
エクバラム遺跡にはチチェンイッツァ遺跡のピラミッドよりも2m高く、往時は7mは高かったと言われる権勢を誇ったトロール王朝のピラミッドが建立され、この頂上から眺める360度の地平線は一生の心に残る壮大な眺めです。
この景色を眺めるだけで、ここに来て良かったと誰もが感動をする場所があります。
【 感動の理由その3: マヤのパワースポットです! 】
更にはここはマヤ世界の聖地でもある為、沢山の巡礼の人々が未だに数多く訪れる場所です。この遺跡に訪れると誰もが神聖な気持ちに浸り、心が浄化されると言われます。
海外からのお客様は石にエネルギーを貯めて行かれる方もいらっしゃいます。
古代よりマヤの聖地であった為、あなたのパワーを強くし浄化する場所です!
これら全てを満たす遺跡…それが、エクバラム遺跡なのです。
地球の息遣いを感じる密林の脅威の大自然をピラミッドの上から眺め、古代マヤ人の英知の結晶たる巨石文明を目の当たりにする。。。
そして、この世界に生きる人々との出会いに、自らの価値観が揺さぶられ、心の中の意識が変化し、今まで見ていた世界ががらりと変わる。。。
これこそが、旅の醍醐味、、、文明との接触、遺跡見学の真髄、そして啓蒙です。
過去から学ぶという事は、ただの通り一遍等なツアー内容では感じることが出来ません。もっと深く遺跡と接すること、そして、案内をするガイドも本当のプロのガイドであること、、、これら全てが揃ったときに初めて実現するものです。
弊社は本来の旅の醍醐味というものをとことん追求したツアーをご提案しています。
だからこそ、見学する側との距離が近いエクバラム遺跡は、世界遺産として整備されたチチェンイッツア遺跡より感動するのです。
それは、弊社のツアーに参加するからこそ、得られる本物の感動だという事を、、、是非弊社のツアーにご参加いただくことで、感じ取っていただきたいと思います。
エクバラ遺跡は、ジブリのラピュタの世界観があるとよく言われます。整備されていない自然のままの姿は、お子様連れからカップルの方まで好評です。
こんな人にオススメ!エクバラム遺跡
●まだ観光地化されていない、神秘的な遺跡に行ってみたい人
●人が少ない遺跡でゆっくり見学したい人
●ピラミッドに登頂して、360度のマヤのジャングルのパノラマを眺めたい人
●歴史的価値の高い、美しい漆喰彫刻を見たい人
●マヤ遺跡から強力なパワーを受け取りたい人
●まだ発掘途上の遺跡でロマンに浸りたい人
●ジブリのラピュタの世界観を感じてみたい人
エクバラム遺跡に行くツアー
■ 店長吉田の"ちょっとヒトコト" ■
この遺跡は、7~10世紀にかけて繁栄した穀倉地帯にあり、宗教的な位置づけが強い遺跡であり、国王が統治していたと言われています。
敷地内には国王の墳墓があり、また、緻密に施された漆喰彫刻がほぼ無傷の状態で発見され、考古学的にも重要な位置づけとされています。
その繊細な彫刻は、信じ難いほどの完全な形状で残されており、美術的にも大変優れています。
更に、高さ32mを誇るピラミッドが王の墳墓であるという事実が、歴史的ロマンをかきたてます。
王棺からは遺体が見つかり、更には壁画も出てきました。
今現在も、世界各国から考古学チームが派遣され、この遺跡の調査を行っています。
エクバラム遺跡はこのように素晴らしい遺跡なのですが、現在進行形の考古学研究の対象という事と、価格の関係で殆どのツアー会社はまだこの遺跡をツアーには組み込んでいません。
その為、殆どの方は自力で来ているいう状態です。
稀にみる貴重な遺跡ですが、上記のような理由で誰にも邪魔されずにゆっくりと見学が出来るのです。
観光化が進めばそのうち立ち入り制限区域が拡大する事は必至。
そうなる前に是非この素晴らしい遺跡に訪れて頂きたいと思います。
【 トゥルム(Tulum)遺跡 とは? 】
中央神殿(エルカスティージョ)。ピラミッド型でないマヤ遺跡のカスティージョは珍しい。交易品を運ぶ船の為の、灯台としての役割を果たしていた。
13世紀。9世紀末に起こったマヤ文明の大崩壊から300年。
チチェンイッツァなき後、混沌とした後古典期。
16国に分裂したユカタン半島の中、エカブ王朝の貿易の窓口として建設された交易都市。
外壁はパリゴルスキー鉱石を使った覚めるようなブルーで彩られた青の都市tulumは、元々はZAMAと呼ばれた都市であった。
ZAMAとは「太陽が登る場所(朝/夜明け)」というマヤ語。
東沿岸部に位置するtulumはまさに太陽が立ち登る場所であり、そこにはマヤ文化圏に留まらず、遠くメキシコ湾岸の都市からも様々な物品が交易を通じてもたらされた。
豊かさの象徴であるtulumは、エカブ王朝だけでなく、東沿岸部マヤ文明における太陽そのものであった。
この名称通り、春分秋分の時期には真西に沈む太陽が、メインとなる神殿の中央入り口から、ぴったり神殿中央に光を下ろすように建設されている。
Tulum(マヤ語で"壁"という意味)の名は、16世紀初頭にスペイン侵攻があった際に、壁に取り囲まれた城塞のような出立ちから、後世に名付けられたものである。
その名の通り周りを800mの壁で覆い、眼前には10mの高さの断崖に守られ、堅固な要塞のようである。
交易品(黒曜石、ターコイズ、翡翠、綿、食品、銅の鐘、斧、カカオ豆など)に関する詳細については見学の際にご案内をするが、メインとなる産品の一つにハチミツがある。
風の神殿。ここからは海側の10mの断崖が分かります。
【 マヤ文明の古典後期、人々の関心は、農耕から交易品(富)へと変貌 】
ハラチウイニク(太陽の神)の宮殿(王宮)。こちらも壁が上部に向けて広がる、逆台形のような形が特徴のトゥルム様式の建築。太陽の神を神殿ではなく宮殿に飾り、威信行為に使用していることから、儀式が形骸化した事を物語る。
世は農耕ではなく交易を主体とする社会へと変貌。
この為、農耕儀礼は必要ではなくなり、神殿も大掛かりなものではなく、簡潔に要所を抑えただけの簡素な作りになっている。
都市に暮らすものにとっての興味の対象は、この都市に集まる富と豊かな暮らしそのものにあったことは、その発掘品の多様性からも伺うことができる。
実際このtulumでは、前時代には許されなかった陶器の器を、一般家庭で使われていた事がわかっている。
王族のみに許された高価な食器を、一般の家庭でも使っていたと言うことは、この都市がいかに物質的に潤っていたかを物語っている。
その中心となった産品がハチミツであることは、この都市に存在する天下る天使の神殿で、はっきりと見て取れる。
【 トゥルム遺跡にまつわる2つの大きな謎とは? 】
さて、この遺跡には致命的な問題が二つある。
水と文字の問題だ。この都市は交易を安全に執り行う事を最優先した結果、飲料水という重要なファクターを犠牲にしている。
遺跡内にはセノーテの家と言われる水汲み場が神聖な神殿として建てられているが、この水は緊急事以外は用を為さない。
海水が混ざり、また水量も少ないためである。
しかし有事の際には、この水が使われたこと間違いがなく、日常的には水を外部から人力で運んできていたと考えられている。
しかし水源に乏しいプウク丘陵に多く存在する溜め池(チュルトン)はtulumで確認されておらず、5000人規模と言われた人口の飲料水を、どのように確保していたかは謎のままである。
セノーテの家(神殿)
貴族の家。壁が上に向けて斜めに広がる、トゥルム様式の典型。
そして、もう一点の文字の問題については、この都市には文字資料として、マヤ文字が一切見つかっていない。
一体どのような方法で、測量など都市建設を行なったのか、謎が残る。
唯一フレスコ画の神殿の前に石碑が残るが、この時代は7世紀のものであり、tulumとは時代を異にしている。
つまり、外部から持ち込まれたもの、という事になる。
また、この壁画からは交易の広さを窺い知ることが出来る壁画も見つかっている。
ぜひ見学の際には、その類似性から、いかにこのtulumという都市が、交易に力を入れていたかを見ていただきたい。
店長吉田の"ちょっとヒトコト"
フレスコ画の神殿。Tulumは規模は小さくても様々な謎が隠されています。何故、壁で囲まれてるのか?
何故、セノーテの水よりもこの立地を都市建設の場所に選んだのか?
海上交易網の範囲は?文字や暦学、宗教などの文化的なレベルはどうだったのか?
後古典期後期というマヤ文明最後期に位置する遺跡にはマヤ文明が909年に大きな崩壊を起こして以降の貴重な資料が残されています。
さて、上記様々な謎に対する答えを見つける事が出来るのがこのフレスコ画の神殿。ぜひ弊社ツアーでその秘密を解き明かし、謎の真相に迫りましょう^_^。
こんな人にオススメ!トゥルム遺跡
●マヤ遺跡とカリブ海のコンビネーションという、唯一無二の貴重な絶景遺跡に行ってみたい人
●世界で1番フォトジェニックな遺跡と名高いマヤ遺跡で、美しい遺跡写真を撮りたい人
●遺跡見学のついでにカリブ海ビーチで泳ぎたい人
●チチェンイッツァ遺跡のような、大規模遺跡ではなく、もっとライトな遺跡観光をお望みの人
●スペイン侵攻後も70年生き延びた、最後のマヤの都市と言われる遺跡に触れてみたい人
トゥルム遺跡に行くツアー
※2020年11月から今現在(2024年9月)まで、コバ遺跡のピラミッドは登頂不可になっています。最新情報はお問合せ下さい。
④コバ遺跡 (Coba)
「さざなみの寄せる湖水」という意味をもっているコバ遺跡ですが、その意味するところの通り周りは湖水をもつ湿地帯に隣接しており、その規模と大きさからもかなり見ごたえのある遺跡です。
名前の通り湖水の湿地帯に隣接しており、遺跡の修復は進んでいない反面、うっそうとしたジャングルの中に佇む神秘的な遺跡をその発見されたのと同じ姿でさらけ出しています。
そんなジャングルに囲まれた遺跡をのんびりと森林浴をしながら散策したり、自転車で一つ一つの遺跡を見学する…知らず知らずの内に、身と心がマヤの人々と同じ空気を感じ取っている事に気がつくことでしょう。
このコバ遺跡は、遺跡への熱意が半端ない店長吉田がじっくりとご案内致します!
コバ遺跡に行くツアー
⑤ムイル遺跡 (Muyil)
シアンカーンのツアーのオプショナルで行くムイル遺跡。オマケ程度に案内されることが多いこの遺跡、実は様々な興味深い秘密が隠されいます。トゥルム遺跡に並ぶ後古典期の王朝であったワイミルに属するムイル遺跡は、メインとなる建造物は地下トンネルでつながっています。この時代はシャーマニズムによる神聖国家ではなく近代国家に近い交易を中心とする商業経済が中心となっていましたので、このトンネルにも実利的な意味合いが含まれていたりします。また何故内地に国家を建設し水路という面倒なスタイルを取ったのかなど、一つ一つに答えが存在しています。これらを体系的にしっかりと理解をしていただく事で、よりシアンカーンという世界が身近に感じることが出来ます。