マヤ文明&マヤ遺跡のことならお任せあれ!深く詳しく面白く解説「マヤ遺跡」特集

【ウォータースポーツカンクンだから出来る自信の遺跡ツアー】
遺跡ツアーに何を求めるか、、、この答えによって、選ぶツアーにも大きな違いが生まれます。
弊社のツアーは遺跡観光をツアーの一番の柱にすえ、その為に重要となる、快適さ、スケジュール等を考慮しながらツアーを組み立てますので、一度に40人も50人も連れて行くような巨大なバスツアーだったり、不必要なコミッション目当てのお土産屋に立ち寄るような無駄な時間も取りません。
もちろん、これには英語ツアーとの共同催行も含まれますので、何も日本語ツアーだけを指していっている訳ではありません。
カンクンの中にある英語もスペイン語も、その他の国のツアーも全て含めて、どこも弊社の言うコンセプトを明確にしているツアーがないのは、あまりに哀しい現実です。
価格の安さばかりを強調するツアーが、カンクンには多いのですが(これは英語ツアーも含め)、逆に内容を強調するツアー会社はありません。
遺跡の見学を通じて得るものは、それが単なる見学では終わらないところに真価があります。
過去には海外旅行そのものが目的という時代がありました。ハワイへ行くというその事が目的だった時代、価格が一番重要な要素でした。
しかし、時代は流れ、人は「何故その場所へ行くのか?」という旅そのものに目的をもつ時代に入りました。
それにも関わらず、今までと同じように安い安いで勧誘されても、私などは全く心が動きません。
マヤ遺跡を見学すること、そのことを目的とする以上、自分が納得するレベルでの案内と解説を当然のように求めるからです。
遺跡見学を通じて、どんなことが学べるのか。。。
このコンセプトを明確にしているツアー会社はありません。催行している会社がマヤ遺跡の事など良くわかっておらず、ビジネスとしてツアーを催行しているから当然です。
今までなら、謎の多いマヤ文明においては何か分からないことがあっても、未だに謎で…と口を濁すことも出来たでしょう。
しかし近年のマヤ考古学は、碑文学も含め飛躍的な進歩を遂げています。
単なる見学ツアーとしてその場所に連れて行くだけの内容のないツアーで満足いただける文明ではなくなっているのです。
このマヤ遺跡の最新の考古学情報を常にアップデートし、最新の情報を元に一番新しい文明の最前線を知っていただく。
歴史解読の意義をしっかりと伝えることで、ツアーそのものが、そして、参加されたお客様全てが、自らの人生観や価値観にまで訴えかけれる感動と躍動を感じることになるのです。
【歴史を見学することの意義(コンセプト)とは?】
ヘッディング 6
我々が持つ遺跡ツアーに対するコンセプトは明確です。
「歴史探求というものは、過去に人々が残した生命の軌跡をなぞることで、自ら抱く悩みや疑問に対する答えを見つけ出す行為である」
というものです。
歴史から学ばない人は誰もいません。人は自らの過去の経験や体験からも様々な事を学びます。全く同じ事が、歴史探訪でも当てはまるのです。
だからこそ、明確で分かりやすい、また体系的な解説が求められるのです。過去の時代と現代の時代は背景が違っても、生きる人々の思考というものは、実はそれほど変わりません。どの時代でも人々が望むものは同じであり、その為に行動をしたからです。
マヤの世界でも同じです。そのマヤ文明が何故崩壊をせざるを得なかったのか、、、この謎を追うことで、我々が陥るかも知れない危険を未然に防ぐことも出来る…そして、より幸せな未来への答えも見出す事が出来るのです。
ここに遺跡見学の醍醐味があります。
価格以上の価値を生み出すマヤ遺跡アプローチの秘密!
遺跡見学にとどまらない学びや啓蒙といった追及で、マヤ文明を読み解きます。
【弊社、遺跡探訪アプローチへのこだわり】
大切な思い出のツアーだから、遺跡見学にも一工夫いれています。
例えば、遺跡見学でもしっかりと以下のような事が分かるようになっています。
知的好奇心を満たす疑問にしっかりと答えます。
●一体、どのような人々が何を目的に…この世界一有名なピラミッドを建設したのか?
●何故、マヤ文明は密林の中に都市を建設したのか?世界から隔絶したその訳は?
●忽然と消えたマヤの人々は、一体どこへ行ってしまったのか?
●そして、何故、マヤ文明は滅んだのか?
●DNAに残されたマヤ民族の驚くべきルーツとは?果たして宇宙人説は証明されるのか?
●チチェンイッツァ遺跡で行われた、心臓を取り出す儀式に隠された真実とは?
●年に二回だけ起こるピラミッドの降臨現象に隠されたマヤ支配者層の狙いとは?
●数多くの遺跡に祭られる雨の神「チャック」が明かす驚くべき自然環境とは?
●マヤ神聖文字解読により明らかにされるマヤ古代社会!
●2012年に地球滅亡を預言したマヤの預言には続きがあった、果たしてその続きとは?
上記以外にも更に興味深い、マヤ文明の謎を解き明かします!
弊社のツアーでは、これらの謎を探りながら興味深いマヤ遺跡の世界をインプットしアウトプットして頂きます。
ツアーで行ける5つのマヤ遺跡のご紹介






【 チチェンイッツァ(Chichen Itza)遺跡 とは? 】

言わずと知れたマヤ文明の神髄、世界遺産のマヤ遺跡。
マヤ文明の高度な建築技術と正確な天文学が随所に活かされている貴重で興味深い遺跡です。
遺跡内は、6世紀ごろのマヤ後古典期の「旧チチェンイッツァ」エリアと、トルテカ文明と融合した10世紀以降の「新チチェンイッツァ」エリアの、大きく2つのエリアに分かれています。
一番有名なピラミッド「エルカスティージョ」「戦士の神殿」「鷲とジャガーの神殿」「球戯場」は新エリア、「天文台(エルカラコル)」「尼僧院本館」は旧エリアにあります。
【 エル・カスティージョ(El Castillo) 別名ククルカンのピラミッド】
チチェンイッツァはマヤ文明の中でも特に論証の的になっている遺跡です。
その精緻な建造群、特にククルカンのピラミッドと言われるカスティージョは、その完璧なまでの建築技術から、以前には宇宙人説などまで持ち上がった偉大な建造物です。
高さ24m+6m(神殿部の高さ)、底辺55.3m、9層からなるピラミッドには4面に階段が設けられ、最上階には聖堂が建てられています。
階段の数は一辺91段、4面で364段、聖堂への一段を加えて365段と1年の日数に相当するようになっています。
更に各面の9層は中央を階段で仕切られ18のテラスがある事になっていますが、これがマヤ暦の1年の月数である18ヶ月となっているのです。

カスティージョ(Castillo)とは、スペイン語で「城」という意味。
【 戦士の神殿&千本柱の回廊 】

ククルカンのピラミッド頂上から東手に見えるのが、戦士の神殿と言われる建造物です。その建築様式から、トルテカ族によって建設されたと言われています。
この神殿には現在登ることは出来ませんが、中心に鎮座するチャック・モールの像や、戦士が彫刻された柱廊が有名です。
底辺の幅40m。周囲を戦士をモチーフにした彫刻が施された「千本柱の回廊」によって囲まれています。
西側の階段(正面)を登りつめた中央に、有名なチャックモールの像があり、生贄の心臓を乗せ、地下世界にて闘う太陽がまた東から昇る活力として捧げられていました。
この神殿と同じ様式で建てられた神殿が、トルテカの都「トゥーラ」にあるトラティスカルパンテクトリ神殿です。
この2つの各神殿は、ほとんどウリ二つであり、この為、トルテカ族により、建設されたと言われる根拠となっているものです。
【 球戯場と南北の神殿 】
マヤ遺跡最大の規模を持つ球戯場。
遺跡全体の大きさは南北168m東西68m高さ8.2mという広さを持ち、プレイフィールドは南北146m東西36mの大きさを持つ。
中央部分に設けられた輪にゴム製のボールを通すことで得点を競い合ったと言われています。
有名な西側にあるレリーフには、この儀式によって勝者側(もしくは敗者側)のチームのリーダーが神への使者として斬首された様子が描かれています。
鮮血が生命と豊穣をあらわす象徴である蛇となっていること、更にその一つは木の幹となり作物を実られていることからも、この儀式が神聖なものであったことを伺わせています。
競技者は身分の高い高官であることは、そのレリーフに描かれた人物が、ネックレス(恐らくヒスイ)をし、権力の象徴であるマニキン・セプター(人物象形杓)を身につけていることからも伺うことが出来ます。
また、首を切り落とす剣は黒曜石のものであるという根拠は、当時のマヤ地域には鋳鉄などの技術がなかった事から来ています。


【 聖なるセノーテ:セノーテ・サグラド(Cenote Sagrado) 】

サクベと呼ばれる長い鼓道を抜けると突然現れる巨大なセノーテ。深さは20m、大きさは直径で60m弱という大きな泉です。
ここは神に捧げられる生贄や宝物が投げ込まれたといわれる泉です。このセノーテの底からは、様々な貴重な発見がありました。
因みにセノーテとは、この地域特有の地下水が湧き出る泉のことで、石灰岩質の岩盤であるユカタン半島によく見られるものです。貴重な水の供給源として、多くの遺跡がこのセノーテの近くに建設されてきました。
このセノーテでは生贄の儀式が行われた…とマヤの伝承で伝えられています。
伝承では、美しい少女だけが投げ込まれた…と伝えられ、1904年に行われた探索で、女性の骨が発見され伝承が本当であった事を裏付けた…と伝えられています。
この泉からは他にも貴重な金のプレートや数々の遺物が発見されており、この遺跡の貴重な情報源となっています。
【 エル・カラコル (El Caracol)天文観測施設 】
旧チチェンの遺跡群の中で最も有名な建造物であると共に、古典期終末期の傑出した建築モニュメント。
その内部構造から「カラコル」(カタツムリ)とも呼ばれる。
ご存知、マヤの天文観測施設。
直径11m、高さ13mの塔を持つ天文観測施設。観測という目的から入り口は2mの高さに設置されています(神聖な建造物であるとの説もあります)
内部には厚い石組みの壁とらせん状の階段があり、その基壇、戸口、窓の縦の側面を用いて、太陽の夏至や春分の日没を計ったり、月の南下の位置を確認し、金星のみかけの運行を観測していました。
トルテカ=マヤの時代までにも、何段階かに分けられて建て増しされた事が確認されています。
旧チチェンの建造物では唯一トルテカ時代にても実用にともされていた稀有な建物です。

【 尼僧院と付属の尼僧院 】

プウク様式の色濃く残る古典期後期の遺跡。旧チチェンの中でも古い遺跡に属する。
どちらも壁面全体に雨神チャックの装飾が施された建造物で、プウク様式に見られる壁面上部のみに文様を施すという特徴からは若干外れているものの、古典期マヤの特徴が強く見られる。
壁面には13の雨神チャックが飾られており、入り口がその雨神チャックの口になっている。
また、尼僧院では、入り口上部には大きな頭飾りをつけた支配者と思われる人物が玉座に鎮座している意匠も見られる。
こんな人にオススメ!チチェンイッツァ遺跡
●やっぱり世界遺産の遺跡は外せない!人
●最も有名で、しかも大規模な遺跡に行きたい人
●その高度な建築と天文学に触れて感動したい人
●マヤ遺跡&マヤ文明の歴史から何かを学び取りたい人
●年に2回のみ起こる、降臨現象を体験してみたい人
●生贄の儀式があったセノーテを見てみたい人
チチェンイッツァ遺跡に行くツアー






【 エクバラム(Ek-Balam)遺跡 とは? 】

エクバラム遺跡はチチェンイッツァから70km離れた場所に位置した最近特に注目されている遺跡です。
紀元前300年を起源とする息の長い遺跡であり、発見当時の保存状態が極めてよかった上に、貴重な資料がほとんどそのままに残されていた為に、研究史上きわめて重要な遺跡として位置づけられており、現在も他の遺跡と同様に、復旧事業が進められています。
エクバラムを統治していたUkitJolAhkulの功績を描いたモニュメントには、最初の王であるUkitKanLe'KTokが神として描かれています。
そして、ここエクバラムにはその王の墓があります。
【 王の墳墓が存在する「Troll」王朝の都 】
この墳墓からは王の遺体と共に、生贄となった従者の遺骨も発見されており、一部壁画や漆喰で塗られた壁の一部も保存状態が極めてよい状態で残されています。
こうした細かな彫刻が施された遺跡、特に墳墓として確認できたものはユカタン半島では唯一このエクバラム遺跡だけといわれています。

