店長吉田と行く!コバ遺跡&トゥルム遺跡

【店長吉田と行く北部低地マヤ文明の謎を解き明かすツアー】
マヤ文明の崩壊は何故起こったのか…
その鍵を握るコバ遺跡のもっとも重要な5つの石碑を解読
(この石碑の解読説明が出来る日本人ガイドはカンクンでは店長だけです)
また、2012年のマヤカレンダー終焉を予言する、地球滅亡の根拠となった碑文を実際に見学し解説します。
そして、その預言の続きについても解説します
密林のジャングルに3国しか存在しなかった王国の栄枯盛衰を見る!
更にオプションでグランセノーテ遊泳も可能
こちらのツアーは店長吉田がガイドをさせていただきます!

Cobá is a pleasure to explore
コバ遺跡にあるマヤのロングカウントと言われる長期歴について書かれた石碑には、長期歴終焉に関する内容と共に、その後訪れる新たな時代を予言する謎の部分が残されていました。
2012年に地球は滅亡するのだという世紀末思想がマヤの暦とリンクして説明される事がありましたが、この石碑がその根拠となっていました。
しかし、マヤの預言には滅亡の先の預言もあったのです!
そして、実はコバはひとつのまとまった遺跡ではなく、サクベと呼ばれる白い堤道によって、中心部といくつかの遺跡が連結されて構成されているのが特徴で、その16以上もあると言われるサクベは各々数キロにも及んでおり、最も長いものになると直線距離にして100km、チチェンイッツァの南西17kmにあるヤシュナ遺跡にまで通じているものもあるという壮大な規模の遺跡なのです。


更に、ここにあるピラミッドはユカタン地域では最も高いものとしても知られており、太陽神を祀ったといわれる神殿と共にペテン様式で建設されております。
120段もの急激な階段を登りつめると壮大なパノラマが目の前に広がります。
チチェンのククルカンのピラミッドより18mも高い42mからの景色は雄大でもあります。
※2020年11月から今現在(2024年8月)まで、コバ遺跡のピラミッドは登頂不可になっています。最新情報はお問合せ下さい。
また、最も長く存在していたと言われる遺跡と言われており、15世紀~16世紀にかけてのトゥルム遺跡の建築様式にも似た建物もいくつか見受けられ、この遺跡が20世紀の中頃まで実際にマヤ人によって生活が営まれていたことも頷ける神聖な場所でもあります。
生きた遺跡の中でその空気に触れながら、神秘のマヤ文明を感じることが出来るとても貴重な遺跡です。


そんなジャングルに囲まれた遺跡をのんびりと森林浴をしながら散策したり、自転車で一つ一つの遺跡を見学する…知らず知らずの内に、身と心がマヤの人々と同じ空気を感じ取っている事に気がつくことでしょう。
慌しい見学ではなく、のんびりとした見学スタイルがこの遺跡にはよく似合います。
そして、そんな密林の大自然から、今度は美しいカリブ海に佇む後古典期のトゥルム遺跡へと向かいます。
美しすぎる遺跡とカリブ海とのコントラストに目を奪われながら、しっかりとこの遺跡の存在について、その時代背景、社会、歴史的背景を元に真相に迫ります。
何故、コバ遺跡は内陸に、このトゥルム遺跡は沿岸部に建設されたのか。。。
実はここに一つの真実が隠されています。この時代と社会の流れを知る事で、様々な謎が氷解していきます。
この瞬間は感動を更に大きいものにしてくれます!

Tulum / the walled city
【そして、今回、最後に残された北部低地の謎に迫ります】
実はこのユカタン半島がある北部低地と言われる地域は未だにマヤ文明の中では謎の多い土地として知られています。ただし、その謎というのは、神秘的な意味でのそれではなく、単に、考古学的な資料が少ない為に、解読が進まないことから来ているだけで、実際には、他地域からの発掘調査の結果などから、かなりの事が分かり始めています。
今回こちらのツアーを催行するに当たって、弊社では他のツアーでは絶対に知ることの出来ない3つの謎を解き明かすことをお約束いたします。
■コバ遺跡は何故崩壊したのか?
この原因は諸説がありますが、実は近年の発掘で驚くべき事実が発見されました。それは平和な時代に起こった大きな騒乱の証左であり、その騒乱の原因が驚くべきセンターの存在を浮き彫りにされています。この証左と共に、この遺跡の崩壊の謎に迫ります。
■コバ遺跡5つの重大碑文を解読
このコバ遺跡には44本の石碑が存在していますが、実際に解読が進んでいるのは、5本のみです。この5本の石碑が示す当時のマヤ文明の王朝史が一体どのようなものであったのかを、豊富な資料と共に解き明かします。
この石碑の解読解説が出来るガイドはカンクンでは店長吉田だけです。
■後古典期マヤの時代に存在したトゥルム遺跡の存在意義とその世界
一般的に、後古典期はマヤ文明衰退の跡であると説明されることが多いのですが、考古学の世界では、そのようなとらわれ方をしていません。ここには時代の流れというものが、社会構造の変革をもたらし、その結果としての後古典期が存在しています。
現代世界にも当てはまる都市構造と支配構造が、実に我々の住む今の日本という国を示すようで非常に面白いのですが、将にそれを衰退というのであれば、日本の行く末を占う意味でも、この遺跡については避けて通れない解説をご覧に入れます。
